現代文に対する信用

分かりにくい表現かもしれませんが、入試の国語(現代文)については「信用」というものが基本にあると、私は思っています。より具体的に言うと、その問題が「きちんと考えれば解けるように出来ている」と信用出来ないと、真面目に解くことも無いでしょうし、真面目に対策をすることも出来なくなるということです。

例えば推理小説で言うと、犯人当ての場面に至るまでにその根拠が無ければ、アンフェアだと感じられるでしょう。トリックの証拠や犯行の動機、他の人物では実行が不可能であることなどが全く書かれて無く、何の関連もなく「犯人はこの人だ!」みたいな流れは、かなり興ざめしてしまいます。

作者がきちんと根拠を提示し、きちんと考えれば犯人を見つけることが出来る・・・そういう信用が無いと、本腰を入れて読み進める気にはならないのです。

これと同様に「こんなのを考えても意味ないじゃん」と考えていては、全く対策は進みません。「ちゃんと考えれば正解にたどり着く」という信用があるから、真面目に考えるようにもなるでしょうし、その対策を行っていくことにもなるのです。

どうも現代文は、ただ問題を解いて、正解だったか不正解だったかを確認するだけの生徒が未だに多い。解説を見ても「こんなの思いつかない」と諦めてしまうことも少なくないのです。そういう場面では、この信用の薄さを痛感してしまいますね。

こういう信用に基づいて、入試現代文とがっぷり四つに組む覚悟をしてもらいたいものです。

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