不運なことが生じる可能性

今日はこれが話題になっています。

大阪大採点ミス:外部からの指摘、3度目で認める

今の段階では落ち着いて検討していないので、科目的な内容については触れません。ただ言えるのは、ある意味単純なミスとも受け取れるし、またある意味非常に分かりにくいレベルでのミスとも受け取れるということ。だから普段から物理を扱っている人でも、すぐに正確に「××は誤りで、正しくは○○」と断言出来る人は少ないでしょうね。

ただ一点だけ誤解が生じそうなところだけ指摘を。今回の問題は、設問の設定にキズがあるものなので「出題ミス」と言えるものです。この記事にあるように”採点ミス”を”3度目で認める”と書かれていると、どうしても「採点者を庇うために隠蔽しようとした!」みたいに受け止めてしまいますからね。それは今回に関しては(関係者ではないので断言は出来ませんが)無いでしょう。

さて今回のように、物事には不運なことが生じる可能性が絶対にあります。もちろんその可能性をゼロにしていく努力は必要なのですが、ゼロでないことを批判しても仕方がないことです。つまり”何があってもおかしくない”ということを前提にしておかないといけないのです。

『運が悪かった』・・・今回「実は合格していた」ということが分かった方々に、このような言葉は軽すぎるものだと思います。しかしながら、そう言うしか無い状況でもあるわけです。ならば事前に出来ることは「多少運が悪くても、合格できるようにしておく」ということでしょう。

受験生の中には「本番で自己ベストが出てくれたらなあ」などという”淡い期待”にすがる子がいます。しかしこれだけ大きな不運が現実にある中、自分に対しての幸運を期待するなんて、なんともおめでたい思考だと思ってしまいます。これまでに行ってきた努力の大きさが、幸運を引き込む必要条件であり、必ずしも確実に幸運が巡ってくるわけではありませんからね。

そもそもめったにないことなので”幸運”なのですから。

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