数学の定義に関するお話

今年度、何人かの高校生に使っているこちらの教材。

入試の基礎を作るためには、問題の分量も内容もいいバランスだと思います。某有名網羅系参考書(青とか赤とかのやつですね)に比べたら、こちらの方がかなり充実していると言えると思います。

しかしそれでも、ちょっと物申したくなるような問題がいくつか(笑)

「三角形ABCの重心の定義を答えよ」・・・これを見た時に、つい生徒に『こういう問題を大事だと考える先生は多いと思う。けれどもはっきり言って、これは問題として成立していないね』なんて言ってしまいました。

・・・と、ここで少し補足をしておきます。私はこの問題集に対して難癖を付けたいのではありません。この問題の持つ”危うさ”を知ってもらいたいのです。それはこの問題集だけの問題でなく、数学の指導というものの全般にかかわることなので、こうやって書いているのです。

さて本題。数学の勉強をしたり、数学で物事を考えたりする時に、定義がとても大切であることは間違いありません。定義が議論の出発点となり、そこから論理的に得られるものを積み重ねて、より深く思考をしていくことになるのですからね。だから定義が曖昧であれば思考の土台を失ってしまい、その議論自体が不毛なものになってしまうこともあるのです。

しかしこのことを、「一つの対象に対する定義は”絶対的に一つ”であり他の表現は許されない」と認識している人が多いのです。また併せて、そのような誤解をしているのは、数学の先生など”ある程度数学を知っている人”に多いのです。

これは違うのです。数学では(実際には数学に限りませんが)、「合理的なもの」であればいろいろな定義を採用してもいいのです。考えている対象を扱いやすくしたり、そこから始まる議論をしやすくするために、適切な定義を採用することはよくあることなのです。

そこで上の「重心の定義」に戻りましょう。おそらく多くの人は、三角形の重心の定義は「3本の中線の交点」と答えることでしょう。大丈夫です、それ自体は全く問題ありません。しかしそれ以外の定義は認められないのでしょうか。

ここで数学Bのベクトルを見てみると、ほとんどの教科書では三角形の重心の位置ベクトルを「中線を2:1に内分する点」ということから求めています。つまりこちらの方を定義として採用したほうが”議論がしやすい”のですね。

「いや内分のことは性質であって、それは重心の定義ではない」と考える方もいるでしょう。だったらこの内分を定義としてはいけない”理由”を考えてみたらいいと思います。つまり具体的には、「中線の交点ということから内分の性質は出てきますが、逆に内分のことから中線の交点になるという性質は出てきませんか」ということです。・・・もちろん出ますよね(笑)

つまりは、初等幾何であれば中線の交点とした方が”扱いやすい”、でも他の議論においては内分の関係の方が”もっと扱いやすい”のです。数学的な正しさが保証され、そういう定義をする妥当性があるのであれば、いろいろな形式を認めることが出来るのです。それが数学の柔軟なところであり、そういう部分を認めないと数学全体がものすごく窮屈なものとなり、ひいては「つまらない勉強」に成り下がってしまうのです。

こういうことがあるので、三角形の重心を考えさせること自体は悪くないのですが、それを問題としてしまうことは微妙な印象を受けてしまうのです。どれが正解でどれが不正解なのか判断に困りますし、その妥当性まで含めるととても高校生の知識では手が出せない話になってしまいますからね。

高校の数学の中には、同様のトピックが数多くあります。そういうものを窮屈に捉えるのではなく、柔軟な発想で多角的に見たらより多くの学びがあるのです。そういう世界を生徒たちと共有していきたいものですね。

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