言葉に込める想い

経験がある方も多いでしょうが、人によってものすごく
言葉に重みがあることと、ものすごく言葉が軽いことがあります。
その重みの違いは何か・・・。それが想いの違いだと思っています。

・・・ダジャレじゃないですよ(汗)

私は以前勤めていた予備校では、比較的生徒から慕われて
いた方ではないかと、ちょびっと自負しています。
たくさんの生徒から、気軽に「なべー、なべー」なんて呼ばれるのは
とても心地良いものでした♪
また他の職員で、なかなか生徒になついてもらえない人もいました。
その先生はよく生徒や保護者と問題を起こしてしまうので、
何度も何度もお話をしたのを覚えています。

直接お話をすると、よくわかるんです。
なぜ生徒がなついてくれないのか。
それは頭で考えることと心で想うことに違いがあったからなんです。

以前の予備校は、不登校を経験した生徒も多く来ていました。
だから私は気になる生徒に関して、その住所を頼りに
その生徒の家の近くまで車で行っていたんです。

中にはですね、ものすごく学校から離れている生徒もいるんですよ。
そうしたら思うんです。「こんなところから来てくれているんだ!」って。
少し前まで不登校ですよ。だから家から出るだけでも大変なのに、
交通機関を乗り継いで、人の多い学校まで来るんです。
それがどれほど大変か!

これをその先生に話したとすると、答えはこう返ってくるはずなんです。
「じゃあ、その子の家まで行ってみればいいんですか?」ってね。
・・・こんなことでは、言葉がどんどん軽くなってしまいます。

学校や塾に勤めると「生徒が来るのが当たり前」に感じてしまうんです。
でも生徒からしたら、自宅から学校や塾まで行く必要があるんです。
たったこれだけでも、その生徒に「よく頑張ってるね!」なんて
言葉が自然と、そして想いを込めて言えるんですね。

今日は突然こんな話で恐縮なのですが、私はバカがつく
くらい不器用でまじめなんです。
自画自賛ではありませんよ!・・・そうしかできないだけなんです。
でも不器用だから、不器用なりにまっすぐいろんなことにぶつかります。
変に器用にこなそうとすると、決まって失敗しますから(笑)

これから塾に来てくれる生徒には、遠方から来る場合もあるでしょう。
それは「わざわざここまで来る価値がある」と認めてくれたことの
証なんでしょうから、私も誠意を持って指導をしたいと思います。

まだまだ、新しい出会いが楽しみです♪

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0 Comments

  1. 香々

    「伝えようという心」ですかねぇ~
    言葉を放っていても、相手に分かってもらおうという気持ちがなければ、
    言葉は単なる“音”に終わってしまったり、“文字”でしかなかったりするのでしょう。
    よく、「相手の目を見て話しなさい」などと言われますが、
    もし話すのであれば、姿勢、態度、目線、表情、etc と、
    すべての事が整っていなければ、伝わるものも伝わらないのでしょう~

    総称して“行儀”というのでしょうか?(・・・一部ではあると思います)

    しかし、最近の教育は、その“行儀”を教えてくれるところがありません。
    それこそ「家庭教育なのだ」と言われてしまうと、ごもっともなのですが、
    人との接し方の中全てにおいて、大切なことなのに、親も先生も、
    教える術(すべ)うぃ失っているような気がしてなりません。
    人として、一番大切なことなのにっ!

    「そんな態度じゃ、伝わらないよ。」と
    脅し続けるしか ないのでしょうか~~

    Reply
  2. 香々

    うっ!

    また、誤字してしまいました。ごめんなさい。
    コメの時は、確認フラグがないのですねぇ~

    Reply
  3. nabe (Post author)

    私の場合、言葉を交わすときに気をつけていることは、
    「相手の話をよく聞いて、言いたいことが何かを考える」
    「内容によって、自分の感情を素直に表現する」
    という、2点です。

    一般論になりますが、「先生」と名のつく職業の人は
    自分の考えが正しい・・・という頭でっかちになりがちです。
    だから理解できないことが出てきたら、それを他者のせいにしがちなんですね。

    相手の話をよく聞かないと、何が本当に言いたいことなのか分からない。
    それが言葉少ない相手だったら、なおさらです。
    もし相手の考えにマッチしていないことを言っても、
    なかなか伝わってくれないはずなんです。

    また相手が楽しい話をしたときには一緒に笑い、
    悩み事を打ち明けたときには、一緒に怒りや悲しみを共有する。
    そうすることで「自分が認めてもらえた」という実感が、
    相手に湧くわけです。
    自分のことを認めてくれない人の言葉なんて、心に響きませんからね。

    教育・医療・政治・・・さまざまなところでいろんな「先生」がいますが、
    たったこれだけのことができない人がどれだけ多いことか!

    親がしつける「礼儀」を議論するのは、私の意見としては、
    その後で十分だと考えています。

    Reply

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